私が初めてニューヨークの地を踏んだのは、21歳のときだった。マンハッタンの摩天楼を見上げたい。そして何より、本場アメリカでギターが作られ、音楽が息づいている空気を、この肌で感じてみたかった。
橋野浩行・ニューヨーク回想録 第1話
一本のギターを求めて歩いた若き日の旅。それは、のちに木と向き合い、作品を世界へ届ける橋野浩行の原点の一つになりました。
摩天楼と、本場のギターへの憧れ
当時の私にとって、ニューヨークは地図の上にある都市ではなかった。映画や音楽を通じて想像を膨らませてきた、遠い憧れの場所だった。
マンハッタンの摩天楼を、自分の目で見上げてみたい。その思いと同じくらい強かったのが、アメリカのギターへの関心だった。憧れのマーティンにはどのようなギターがあり、どんな空気の中で楽器が売られているのか。期待に胸を膨らませながら、店を訪ねて歩いた。
自分の一本ではなく、友人のためのD-28
旅の結果、私が日本へ持ち帰ることになったのは、自分のギターではなかった。友人から頼まれていたマーティンの「D-28」だった。
欲しかったものを自分のために手に入れる旅ではなく、誰かが待っている一本を探し、無事に届ける旅になった。帰国して友人へ渡したとき、その喜ぶ顔を見ることができた。それは私にとっても、かけがえのない思い出になった。
「あのニューヨークに行ったことがある」。当時の私は、その事実だけで十分に満たされていた。
ギターと木工に共通する、木から音や形を引き出す仕事
ギターは、木を削り、組み合わせ、一本の楽器へ仕立てていく。木目や硬さ、乾燥の状態、わずかな形の違いが、手触りや響きに表れる。
その頃の私は、後にオノオレカンバという非常に硬い木と長く向き合い、靴べらや櫛、造形作品を作り続けることになるとは想像していなかった。それでも、本場の楽器を見たいという衝動には、すでに「木から生まれるもの」への関心があったのだと思う。
若い日の経験は、ずっと後になって意味を持つ
その場では一度きりの旅に見えても、心に残った景色や匂い、人との出会いは、何十年も後の仕事や決断へ静かにつながっていきます。
長い月日を経て、作品とともに再びニューヨークへ
21歳の旅から、長い月日が流れた。その間、私は木工の道を歩み、秋田で作品を作り続けた。そして不思議な縁に導かれ、今度は旅行者としてではなく、自らの作品を携えてニューヨークへ向かうことになる。
最初の旅では、友人のために一本のギターを持ち帰った。次の旅では、秋田で生まれた木の作品をアメリカへ運んだ。振り返ってみれば、この二つの旅は、私の中で一本の線につながっている。
次回へ——秋田の石焼鍋から始まった展示の話
後年、日米の文化交流に携わる方との出会いから、「橋野さんの作品をアメリカで展示しましょう」という話が持ち上がった。あまりに大きな話に、最初の私はどこか他人事のように聞いていた。
ところが、その一言は思いがけない速さで現実へ近づいていく。次回は、秋田のホテルでの出会いから、一人で作品を抱えてニューヨークへ向かうまでを綴ります。
本記事は、橋野浩行本人が書き留めた回想をもとに、公式サイトの記事として再構成したものです。記憶に基づく随筆のため、訪問年や店舗などの詳細は公開前に本人確認を行います。

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